昨日、阪神淡路大震災から14年が過ぎた。
その当時、豊中の服部南町に住んでいた。
地震が起きた瞬間、近くに伊丹空港が
あった事もあり飛行機が落ちたのかと思った。
朝がたであったが辺りは暗く、
近所の方々も慌てて家を出てきたのを
思い出す。
私もその時地震と認識したが、
関西は地震が起こらないところと聞いていたので、
東海地震が起きたのかとも思った。
地震後、マネキン屋でバイトをしており
神戸の担当であった。
阪神高速、名神高速共にズタズタ。
神戸までトラックに乗り、道を迂回して
片道3時間の往復6時間かけて仕事をしていた。
国道2号線で街中を走った時、
本当に戦後の様子(社会の資料集写真)に
似ており何ともいえない心苦しさがあった。
東京に来て阪神淡路大震災をふり返る
ニュースを見た時、また今までとは違った
受け方をした。
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